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三日坊主は思考停止?
子供の教育論という話ではなくて、大人になってからの話です。
この三日坊主という考え方は、大人の世界で妙に使い過ぎな気がするのです。
「新しいことにチャレンジするのは大切だ。」
ほとんどの人が納得する事と思います。しかし、新しい事を始めたとしても続かなかったらどうしよう。三日坊主になったら嫌だなぁと、考えてしまう事はないでしょうか。
実は、先ほどの言葉は
「新しいことにチャレンジするのは大切だ。
そして、それを成功させなければならない。」
という考えで広まっていないでしょうか。
身近な三日坊主恐怖心
ちなみに、ここで言っている新しい事とは大きい話でなく、もっと身近な話のことです。
「健康のためにジョギングをしよう。」
↓
(でも、続かなかったらどうしよう。)
「お昼代を浮かすために弁当を作っていこう。」
↓
(続かなかったら、新しく買った弁当箱がもったいないどろうな。)
「今年は山登りしようかな。」
↓
(新しく買った登山靴を今年だけしか使わなかったら勿体ないな。)
「英語でも勉強しようかな。新しい英語の本を買おうかな。」
↓
(でも、前にも勉強してすぐ止めたよな。 あの時の教材が残ってるし。)
などなど。
何かを始めるには大なり小なり費用がかかりますので、使わなくなった時にもったいないという事を考えるのは確かです。しかし、何か始めようという気持ちになる事自体そんなに無いと思うのです。大人になると特に。
始めるにあたり掛かった費用 < 新しいことを始めようと思った、あの頃の気持ちプライスレス
というノリをもっと大切にした方が良いと思うのです。
↓このAA好きなのです。
コメント
コメント一覧 (1件)
三日坊主にならなかったもの、を残すためには
9割の「三日坊主」が必要である。
セノウコの法則