東京オリンピックのロゴがベルギーのリエージュ劇場のロゴをパクったとか問題になっていますね。
そのパクリ問題は置いておいて、どうやら渦中の正式ロゴよりも「招致ロゴを使えば良いのでは?」という議論もあるようです。
招致ロゴは確かに、素晴らしいロゴでしたが、正式ロゴに使うことはナンセンスというか、使うことは出来ないと思うのです。
招致ロゴを使えない理由
招致ロゴは、こちらですね。色とりどりで桜がモチーフの日本的で素敵なロゴです。
対して、東京オリンピックで発表されたロゴはこちら。現代アート的な抽象的なロゴですね。
パクリ疑惑があるのなら、招致ロゴをそのまま東京オリンピックにすれば良いではないか?という意見を散見します。でも、それは可能なのでしょうか。答えはNOです。
優れたロゴは万能ではない
招致ロゴは優れたロゴと思います。しかし、優れたロゴは万能ではありません。
もし、優れたロゴが万能であるのならば、招致ロゴは他のイベントにも汎用的に使えることになります。
「ロゴ」というものは、イベントなり何なり対象にテーマがあり、それに沿っていないといけません。
例えば、このロゴが冬季オリンピックに使うことが可能でしょうか?
もっと言えば対象の目的を達成させねばなりません。
優れたロゴは、万能性を持っているわけではないのです。
日本はオリンピックのホストである
日本で開催といえど、オリンピックは世界大会です。
日本はホストなのです。ホストは来客者に満足を与える義務があります。
例えば、ある人の自宅パーティに呼ばれて、ずっと「これが我が家の家宝なんだよ…そして、これが私が好きな写真で…」といったような、延々と自慢話をされたらゲンナリするでしょう。
優れたホストは、来てもらった方々に楽しんでもらいつつ、どことなくオリジナリティーを感じさせるものです。
せっかくやってきた人に対して、日本へようこそ!日本食!クールジャパン!四季!寿司!ゲーム!アニメ!東京!京都!桜!
など押しつけがましいことをやっていたら、うるさいことたまりません。
招致のときは日本アピールで良いと思うのです。
ただ、実際のオリンピックのときに日本にやってくる人は、基本的にはオリンピックを見にくるのです。
招致のプレゼンで滝川クリステルが言ったOMOTENASHIは、日本の文化を押し付けることではなかったはずです。
ということで、招致のロゴには日本テイストは強くてよいと思うのですが、正式なロゴには、そこはかとなく位で良いと思います。
招致ロゴは、世界大会のロゴにしては日本感は強すぎます。
ロゴは皆で育てるもの
そもそも、ロゴというものは共有し、育てあげるものです。
例えば、SONYのロゴですが、タイポのみのシンプルなロゴです。
いやいやSONYのロゴはカッコイイやん!と思うかもしれませんが、それは皆が長い時間を経て、認知を高め、育ったロゴだからこそのものです。
ロゴは時の流れの洗礼をうけることで、ロゴとしての強度が育ちます。
時間をかけて認知するという作業がロゴには必要です。
ロゴを世界中で共有をする
東京オリンピックの招致ロゴは、すでに日本人の中ではロゴの強度を確立しました。
しかし、繰り返しますがオリンピックは世界大会です。
いわば、オリンピックの正式ロゴというものは、世界中で「あれば2020年のオリンピックのロゴなんだ」と共有しなければならないのです。
世界中の人がロゴを見たときに、「2020年の東京オリンピック」と連想するようになる時間を作る必要があります。
いま、「招致ロゴ = 東京オリンピック」となっているのは、日本人だけです。
これからは、世界中でロゴを見たときに「2020年のオリンピック」を連想させるロゴが必要なのです。
そして、日本も含めた世界中で、同時に2020年のオリンピックロゴを育てていくことが大切です。
といったことから、招致ロゴは、あくまでも招致。
正式なロゴは、やはり別途必要なのです。
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